発病、入院、そして・・・(1)2009/02/27

先日の棒ノ折山行の際、川苔山を間近に眺めて、一昨年の出来事を改めて思い出したので、この辺で、病気について、少々書いてみようと思う。

2007年春・・・
右脚を引き摺るようにしてようやくの思いで川井駅に降り立った2日後には、あの、立っているだけでも苦痛だった右大腿の痛みが、まるで夢幻しだったかのようにすっかりなくなり、私は、すぐに、稜線での苦い思いを忘れて、夏に予定していた燕岳登山を夢に見ながら、毎日を過ごしていた。

そんな私が、最初に自分の体調の異変に気付いたのは、川苔山行からひと月ほど経った6月中旬であった。
通常、糖尿病は「激しい口渇と多尿」から気付くと言われるが、私の場合は、まず「便秘」からであった。
いや、正確に言えば(あとから考えれば)確かにその当時、飲み物の量も多くなっていたし、トイレに行く回数も増えていたわけだが、ちょうどその頃、職場でクーラー(私の席の真上に送風口があった)が動き始めていたため、勝手に「クーラー病」の症状と思い込んでいた。
それよりも、私には「便秘」が気になった。
1週間経っても10日経っても出ない。
別に、食べる量が減ったわけでも、食事の内容が変わったわけでもなく、家族と同じものを、家族と同じだけ食べているわけだから、出ないわけがない。

(食事中の方は、ここから数行は読み飛ばしてください)

何とか腸内に溜まったものを押し出そうと、頻繁にトイレに行っては気張ってみるものの、出るのは小便と冷や汗だけ・・・
それでも、さすがに、便秘も2週間ともなると、私の腸も「これ以上は溜めきれない」と観念(?)したのか、何回かに1回は、私の努力の見返りにと、僅かばかりの報酬をくれるのだが、どう言うわけかそのウ○コには水分がないため、押し出すのもこれまた一苦労なのである。
出ない苦しみと、出るときの痛みで、私は、何度大声をあげたことか!?

そんな状態が続いていた2007年7月9日の月曜日。
朝から身体がだるい。
何とか気持ちを奮い立たせて出勤したが、頭もボーっとして、仕事に集中できない。
午後になると、倦怠感はピークに達し、ついに眩暈がしてきた。
パソコン画面の文字も、ゆらゆらと波打っている。
限界を感じた私は、会社の健康管理室に行って常駐の保健士さんに症状を話したところ、早速、尿を採られて「糖尿病かもしれない」と言われ、更に採血された。
この日は、終業時間まで健康管理室のベッドで休んで帰宅したが、翌日は、朝から起き上がることもできず、休暇を取って寝ていたところ、会社の保健士さんから電話で「血液検査の結果、血糖値が異常なので、今すぐ病院に行って下さい」
・・・と、突然言われても、どこに行けば良いかもわからないし、第一、時間はもうすぐ11時、これから支度をして出かけて、午前中の受付時間に間に合うのだろうか?
そんな不安と疑問に対し、保健士さんが、近くの総合病院に連絡を取ってくれて、とにかく私はそこに行くことにした。

大勢の順番待ちの患者さんに囲まれて、私は頭の中で、昨日からの保健士さんの言葉を繰り返し、不安な気持ちが沸いてくるのを抑えることができなかった。
「糖尿病の疑い」「血糖値が異常」・・・

11時半の受付時間にギリギリ間に合った私の診察は、それでも、結局午後1時過ぎになってしまった。
私を診察した若い内科医は、保健士さんから事前にFAXされていた血液検査の結果をみるなり、有無を言わさぬ口調で「糖尿病ですね」
そして、車で来たと告げた私に「よくこれで、運転ができましたね」と半ば呆れ顔になりながら、内分泌代謝科の先生の予約を取ってくれた。

それから約2時間後・・・
私は、内分泌代謝科の診察室で、約10日間の入院治療を宣告されたが、それでも、私は、自分の耳を疑っていた。

(つづく)